2010年02月14日

スローな旅を

 スローフード、スローライフは集客のためのイタリア宣言のプロパガンダの一つである。それとともに、アグリツーリズやアパルタメントのシステムが近年発達してきた。

 一方、インターネットの検索システムの技術的な進展は目を見張るものがある。いながらにして地図でホテルやレストランの位置を知り、写真で概観や景色を確かめ、ストリートビュでー周囲の雰囲気を知ることができる。体験談を検索すれば個性的なレポートが満載である。情報は知りたい人に知りたいよう密着するように丁寧に与えられる。

 さて、得られた情報や知識、その先のイタリアに何が残されているか?自らの体で歩き、五感で確かめることだ。それをスローフード、スローライフという言葉で誘惑する。幻想を豊かにするガイドはそこまでで良い。

 「情報機器、実はそれらが人間を衰退させている根源なのかもしれない。人間としての五感や感性を目覚めさせるには、そういったものは捨てたほうが良い。」
(倉本 聡、朝日新聞、オピニオンより) 倉本は過剰な情報による思い込みや先入観は感受性を劣化させると言う。富良野の大自然とともに暮らす倉本は「あるがままの自然に触れてほしい。山野は人間にとって、本当に必要なものを教えてくれるから」と言う。

 今の若者たちについて「こちらから話しかけても無反応。何に向かって話しているのかわからなくなる時がある。感受性も劣化した。」と嘆く。もちろん倉本さんの場合はイタリアの話ではなく、演劇だったり、自然の再生の事業だったりする。しかし、我々のイタリアの話にあてはめてみると、スローフード、スローライフのプロパガンダも、商業主義の延長で我々の感受性を掠め取ろうとするたくらみのように思えてくる。ITなどから与えられる情報も、これでもかと旅行者情報を浴びせられると、知らないうちに枠にはめられそうだ。

 イタリアの魅力は地方にあり、古い街角や擦り切れた道路の石、老人たちの笑顔や皺に見つけることがある。少しゆっくりした時間をつくり、自分たちの目線で見つめて、地元の味をたしなみ、自らの体で発見し、しっかり感じていきたい。それこそが我々の目指すスローな旅だ。 つまるところ、ひりまわされることなく自分の感受性と目線を保持しつつ、周りとの係りのシーソーゲームを楽しみ余裕を持ちたい。


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2010年02月13日

食文化

再び世界の食文化ーイタリア(農文協)からの抜粋

「作り手の体現する大きな母性が、成型された練り粉に入り込み、食する人々を一つの輪につなぎとめる」(引用)パスタの社会的な底力。「パスタとは、単純そうでいて、なかなか手のかかった洗練された料理である。」

「食べると言う行為が、物質とその栄養分だけでなく、記憶や関係をも食べ、どうかすると言う行為であると言うのが正しいなら、この成型作業は、その宇宙・自然・人間の関係を調整する想像力の営為でもあろう」そして「マンマのファンタジーア」。

「寛容で、親しみ深く、争いを避ける国民性」は、マンミズモ、即ちイタリア的母性的な社会に根ざす「パスタ感覚」によるところが大きい。反イタリア運動などは聞いたことがない、模倣したいと憧れこそあれ。食文化を、このように時間軸と空間軸で分析しながら、幻想のイタリア料理の中に底流を見出す試みは興味深いものがあった。
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2010年02月06日

世界の食文化ーイタリア(農文協)

 イタリアの古代、中世、近代の時代の流れと社会の変化そして地域性、貴族と農民の生活を鳥瞰的に透徹し、今で言う「イタリア料理」なるものが幻想の上になりたっていると主張する一方、マンミズモと「パスタ感覚」により脈々と紡がれ受け継がれるミネストラを源流とする料理法が流れ込む新たな食材を取り込んで、たくましく未来へと羽ばたこうとする様が活写されている優れた料理歴史書である。

 学者の文章固有の少し読みにくいのを我慢して読み進むと、筆者のイタリア料理に対する思い入れが理解できるようになる。パスタそのものが庶民的なものになったのは中世以降であること、なによりもイタリア料理にトマトが取り入れられるようになったのは新大陸発見後の近代に入ってからであるLこと、そしてパスタ・イン・ブロードの巧みな料理法があったからこそであるという主張は納得がいく。

 貧しい中世の農民たちは工夫を凝らして愛すべきパスタの調理法を編み出していった。ソースに絡めるために工夫された様々なパスタは今や300種類を超えると言う。南イタリアでは15種類以上のパスタを作れなければ嫁にいけなかった時代があったそうだ。こうした料理法の創造力はファンタジーアと呼ばれ、対峙な生活の一部であった。

 北イタリアの生パスタ、南イタリアの乾燥パスタ、ナポリがパスタの一台生産地であったこと、乾燥パスタはシチリアのアラブの民が保存食として工夫したものであると言うこと、パスタが庶民の食卓にあがるまでの経緯など、歴史の時間軸とイタリア半島という空間軸で見渡してみると面白い。

 なによりも近代のスローフード運動、ベルパエーゼ運動、アグリツーリズモなどの自然回帰運動などがイタリア料理のプロパガンダとなって画一化してしまうことを筆者は懸念する。しかし、紐解いてみれば本来の脈々と受け継がれてきたタフな料理法こそがイタリア料理を物語っており、杞憂であるかもしれないと愛情を込めて結んでいる。

 読み終わると心温まるものが残るとてもよい本であった。

La Brezza Italiana http://come-stai.com/
posted by Sono_Hiro at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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