学者の文章固有の少し読みにくいのを我慢して読み進むと、筆者のイタリア料理に対する思い入れが理解できるようになる。パスタそのものが庶民的なものになったのは中世以降であること、なによりもイタリア料理にトマトが取り入れられるようになったのは新大陸発見後の近代に入ってからであるLこと、そしてパスタ・イン・ブロードの巧みな料理法があったからこそであるという主張は納得がいく。
貧しい中世の農民たちは工夫を凝らして愛すべきパスタの調理法を編み出していった。ソースに絡めるために工夫された様々なパスタは今や300種類を超えると言う。南イタリアでは15種類以上のパスタを作れなければ嫁にいけなかった時代があったそうだ。こうした料理法の創造力はファンタジーアと呼ばれ、対峙な生活の一部であった。
北イタリアの生パスタ、南イタリアの乾燥パスタ、ナポリがパスタの一台生産地であったこと、乾燥パスタはシチリアのアラブの民が保存食として工夫したものであると言うこと、パスタが庶民の食卓にあがるまでの経緯など、歴史の時間軸とイタリア半島という空間軸で見渡してみると面白い。
なによりも近代のスローフード運動、ベルパエーゼ運動、アグリツーリズモなどの自然回帰運動などがイタリア料理のプロパガンダとなって画一化してしまうことを筆者は懸念する。しかし、紐解いてみれば本来の脈々と受け継がれてきたタフな料理法こそがイタリア料理を物語っており、杞憂であるかもしれないと愛情を込めて結んでいる。
読み終わると心温まるものが残るとてもよい本であった。
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